Tsotsi  

「たぶん、執着するものを持つことからすべての不幸は始まる。しかし同時に、人間的な幸せもまたそこからしか生まれてこないものなのだ。」これは『ツォツィ』を紹介する沢木耕太郎さんのコラム『銀の街から』にあった文章。←あらためて、そうだなって思った。『ツォツィ』は、このところ続けて公開されているアフリカの現実をテーマにした映画の中で、闘争がテーマではなく普通の人々の生活が舞台の映画。現実(格差社会)は映像で見ても凄まじかった。『世界の都市の中でも飛び抜けて治安が悪い』というヨハネスブルクで生きている人々の生活がリアル。凝った脚本ではなくシンプルな映画だったけれど、とてもおもしろかった。でもアフリカって・・・あんなに美しい国なのに(T.T)。
『ある日、ツォツィは、奪った車の中にいた生後数ヶ月の赤ん坊と出逢う。生まれたばかりのその小さな命は、封印していたはずのさまざまな記憶を呼び覚ました。「生きること」の意味を見失っていたツォツィは、その小さな命と向き合うことで、はからずも命の価値に気づき、希望と償いの道を歩みはじめる。』http://www.tsotsi-movie.com/story/
ツォツィはあだ名(TSOTSI=不良)なんだけど、ブラッドダイヤモンドの少年兵とは違うけれど、彼もまた親を捨て(普通の家庭で育ったけれど、HIVに感染していると思われる母親につらくあたる父のいる家から出てスラムで暮らすようになる)やはり名前を捨てたストリートチルドレン。誰にも本名を言わずに生きてきた不良少年が盗んだ車に残されていた赤ちゃんを連れて帰ることになり、自分を父親だと言い自分の名前をつける・・ちゃんと名前を呼ばれて育ちたかったんだろうなと思うと涙が・・(T.T)。最初は脅してだけどその赤ちゃんにお乳をあげるシングルマザーの女性ミリアムが赤ちゃんに語りかけることばを聞くツォツィの眼差しがせつなかった。赤ちゃんをほんとうの両親のもとに返しにいくところから私は涙ポロポロ・・。ひとは皆幸せにならなくちゃいけないはずなのに(T.T)。ツォツィを演じたプレスリー・チュエニヤハエの目がとてもよかった。彼の目だけでこの映画の伝えたいことがわかる気がした。ラストシーンはツォツィがどうなるか見る人によって違うとらえ方をするかもしれないけれど、私にはツォツィが罪をつぐなって生きていくだろう未来が見える気がして後味はよかった。それがアフリカの明るい未来でありますように。
だれかを必要とし、だれかから必要とされる瞬間から人は人になるんじゃないかと思うような、そんな映画。ツォツィの場合、置き去りにしようとした赤ちゃんの泣き声で人に戻る。強くなる。光と色を得る(←ミリアムが作ったガラスの飾りのような)。
「そこに赤ん坊が泣く声が響きわたる。ツォツィは一瞬迷う。この赤ん坊をここに放置していいかどうか。恐らくは、生きるために何でもやってきただろうツォツィが「迷う」のだ。迷いとは極めて人間的なものである。ツォツィは迷ったことによって人間的な世界に向かってほんのわずか歩み始めることになる……。」と沢木さん。←そうなんだろうな、きっと。
それと音楽がすごく効いていた!これも見てよかったーーー。http://www.tsotsi-movie.com/sound/